nidのブログ

父LOVE♡_1・転倒外傷くも膜下出血で記憶が〜奇跡を信じて_Believe in the day of smiles♪

2020年8月に転倒し記憶を失ってから今にいたる父LOVEブログです。

※両親の認知症もし倒れたら、介護入院引越しなど私が今回体験したことが、同じような境遇にあった時、何かのヒントやご参考になればと家族のブログを綴りました。
そして、レイキの生徒様、レイキヒーリング自然療法姿勢矯正ウォーキングマインドフルネス瞑想を実践されたりご興味おありの方にもご参考にしていただければ幸いです。


『おとうさんはだいすきです
きょうはおとうさんがかえってきたときに おどかしたら びっくりした
ふゆやすみもきょうでおわり げんきにようちえんにいきます』

1月9日、51年前の今日(このブログを書いた)、私が幼稚園の時の日記と私を抱いて嬉しそうな笑顔の父との写真です。日記は母の勧めで書いていましたnidブログの始まりですね♪

昨年8月から今にいたる父LOVEブログです。

2日前に緊急事態宣言が発令され父には会えませんが、虹に希望を託して♪。

◎2020/8/11・父転倒、くも膜下出血、入院。

母から電話で父が庭で転んだ拍子に道路に倒れ頭を打ち意識不明に。
偶然通りかかったプラごみ収集車の人達に発見され、救急車を呼んでもらい病院にいるとの事でした。
意識が戻り一命を取りとめましたが、脳に大きな血の塊があり、治療しつつの人工透析で、私はお見舞いも行けません。私は7年前から毎日の両親への遠隔レイキヒーリングをさらに強化しました。
また母から電話があり、面会に言っても、

「どちら様ですか…?」
と母を認識してない

との事。笑顔などなく表情が全く違い、食事もほとんどできず、点滴で栄養補給でした。これは大変です‥。

◎2020/9/18・お見舞い。辛い表情、家族を認知せず。が…帰る前には♪。

転倒事故直後よりは動けようになったもの、食事がほとんど取れないとの事で、人工透析と長期入院が出来る病院に転院を検討することになり、家族と病院の相談員の方と話し合う為に2時間半かけて車で病院に行きました。

病院到着、この時はまだ面会が許されていました。しっかりコロナ感染対策し父の部屋へ。

びっくりするほどやせ細った父。疲れた表情で私達を見ても‥無表情。
そして辛そうです。

私はとっさに父の手をとりヒーリング。

軽く優しく握りながらレイキヒーリング&タッチングを始めました。「お父さん、なおみですよ。」と声をかけながら、頭、首とゆっくりレイキをします。

自分の服にうっすらつけた、
父回復ブレンドアロマ&フラワーエッセンス香水
(この時はローズマリー、ラベンダー/ブレインコーラルブレンドです)

がほのかに香ります。きっと作用…しています。
アロマハンドバスの前ローズマリー

父は相変わらず私や母が誰なのか認知していない辛そうでしたが、少しすると

表情が和らぎ気持ち良さそう、可能性あるかも!

と感じました。そのまま笑顔で話しかけながらヒーリングを続けました。

リモートショッピングブレインコーラル

◎食事とれず長期入院、人工透析できる病院へ転院の必要。

途中で病院の相談員の方からのお話がありました。

回復に向かっていると思っていたので、寝耳に水?驚きのお話でした。
そもそも父は基礎疾患があり治療がとてもデリケートだという事です。
<慢性腎不全 慢性骨髄性白血病>それに今回の外傷性くも膜下腫血、認知症となったわけです。

そして現在、口からの食事が出来ないとの事でした。ゼリー状のものも食べられず一口食べて、あとは疲れるそうです。点滴では栄養は賄えず、かなり厳しい状況だと。

栄養を取る方法の説明をしていただきました。
<胃瘻など4パターン=しかしそれをするための手術などは父に相当の負担があり相当な危険が伴う話など>どれを選択するか、あるいはしないかなど、家族で話し合い、決めてゆきます。

脳の血痕は小さくならず良くなるかわからず、認知が進んでいる、筋肉が弱って歩けないお話などです。

そして長期入院はできない病院なので転院先を探さねばならないお話です。人工透析と長期入院、リハビリができる病院はなかなかありません。

母達が住む同じ県内でサポートしてくれる施設などの資料ももらいました。

相談員さんとの話が終わり、再び父の部屋へ行きました。
決して楽天的ではない父の状態を知り手を握り、面会時間が許す限りタッチング&レイキをしました。

◎初めてスプーンでゼリーを一口!会話も!介助でトイレにも初めて!

食事の時間になり、なんと初めて自分でスプーンをもち、ゼリーを口に入れました。看護婦さんも「初めて出来ましたねー!」とおっしゃいました。が、二口目を運んだら、その後はもう出来ず、それで終わりです。口に少し入れてもらい「もう疲れたー」と父は食べませんでした。

途中、クモ膜下担当の大学病院の先生がいらして父に様子はどうか尋ねました。「転んだんですよね、あの時」と聞くと、しばらくぼーっとして

父が「あー『転倒』した」と!

あっ!会話が出来てます!

ドクターも驚きの表情。

その後「トイレに行く」と言うので、看護婦さんを呼んだら、なんと介助してもらいながら、はじめて自分でトイレに行きました!看護婦さんが「はじめてですねー!」とヨイショヨイショとトイレを手伝ってくださいました。

◎同居の大決心。

『お父さん、平塚に引っ越してきて、
一緒に住みましょう!。』

父は全くわかっていない様子、母も妹も驚いていました。以前から夫婦で考えていた事だったのですが、この時、間違いない決断と確信し、宣言しました。

◎帰りには手を振って「ありがとねー!」

父の表情が少しつづ変化し、私が娘だと言う事、母のこともわかってきて

「孫たちは元気か?」

みんなびっくりしてました。帰るときには、初めは動かなかった手を大きく頭の上まで上げて「ありがとねー!」とドアから手を振ってくれました。

◎帰りのハイウエイ

渋滞してましたが、主人と半年以上ぶりのドライブです。父の変化のこと、転院先の病院があるのか、実現するのか両親との同居、大引っ越し‥。動かない高速の中、話す時間はたっぷりでした。

Petit Biscuit の Drivin Thru The Nightを聴きながら帰路の道です。

高い目標に滞りなく進める天空の星導きのルーン「テュール」
をこの日から描き、スタートしました。

そして、

未来設定&願望実現レイキプラン

を立て始めました。

大袈裟ですが、最善を尽くし父の回復を願いました。

※レイキヒーリングは心身をリラックスに導くための療法で、医療行為ではありません。

今日も最後までブログをご覧くださり、ありがとうございました。

つづきはこちら♪